鳥取市のなりたちとあゆみ登録日:
鳥取市のなりたち
「鳥取」の地名は、「因幡国邑美郡鳥取郷」(『倭名抄』)という古代郷名が中世、近世、そして近代へと受け継がれてきたものです。 鳥取郷は久松山麓一帯の平野部であったと考えられますが、この地に「鳥取部」という古代部民がいたことが、この郷名の由来といわれています。
室町幕府による守護体制の頃は、因幡国は守護山名氏によって治められていたようです。やがて「下克上」の動きが強まると、それまで守護代を派遣して領国を統治していた守護は、領国内に居城を築き、直接領国を統括するようになりました。そのような時期に、因幡守護山名氏の居城として布施の天神山城(現在の鳥取市湖山町南3丁目のあたり)が築かれたのです。それ以後、因幡山名は布施屋形と称するようになりました。
天文年間後期(1540年代)になると、因幡山名と但馬守護山名氏との勢力争いの中で、軍事的な行動拠点の一つとして久松山麓に城が築かれました。久松山城には家老が派遣されていましたが、快適とは言い難いその環境のためか、あまり受けたくない役目だったようです。その役目を自らかって出たのが武田高信ですが、それは定番として城を守るだけでなく、権力を握るための足がかりでもあったようです。高信は、やがて布施に対抗するまでの勢力を持つようになり、武田方と布施方によって度々戦闘が繰り返されるようになりました。一方、尼子の遺臣山中鹿之助幸盛は、因幡守護の山名豊国を援護して高信を倒し、尼子再興の拠点を確立しようとしていました。天正元年(1573)、甑山城(国府町町屋)攻防をめぐる戦いで武田方は敗北し鳥取城にたてこもりましたが、幸盛勢の攻撃の末、ついに高信は降伏開城しました。この年、山名豊国は鳥取城を本城とし天神山城にあった三層の天守櫓を久松山頂に移しました。
鳥取城下の形成が進められるようになったのは、天正9年(1581)、羽柴秀吉による鳥取城攻略の後、その部将の宮部継潤が城下経営を行うようになってからのことと推定されます。慶長6年(1601)、池田長吉が邑美・法美・八上・巨濃の4郡など6万石を与えられ鳥取城主になった後も城や内堀の改修、外堀の開削とそれによる城下町の拡張などが行われました。
元和3年(1617)姫路城主池田光政が、因幡・伯耆32万石の領主として鳥取城へ転封されましたが、鳥取城下町の飛躍的発展がもたらされたのは、この光政領地期(1617~1632)の城下大拡張整備策によるものといえます。このとき外堀としての袋川の開削をはじめ、家中屋敷割の設定、町人町の造成、寺院の配置が進められ、旧鳥取市街地の原型がほぼ形成されました。寛永9年(1632)、光政と岡山藩主池田光仲の配置転換が行われました。そして、光仲入部以降明治維新まで因幡・伯耆は鳥取藩池田氏の治めるところとなり、鳥取城下はひきつづき発展を重ねていきました。
また、鳥取は古くから火災や洪水が多く、藩政時代にも万治3年(1660)の「出来薬師火事」など十数回に及ぶ大火や寛永12年(1635)の「遷封水」をはじめ寛政7年(1795)「乙卯水」など数多くの大洪水に見舞われています。城下町では防火心得が通達され、消防組織も士分と町方の定火消しが整備されました。防火設備についても宝暦6年(1756)の「川端火事」後、町内に用心井戸33か所を掘らせるなどその充実に努めました。治水工事も慶長年間の池田・亀井両氏の千代川下流沿岸の堤防整備などかなり積極的に進められました。旱害対策も「大井手用水」など多くの灌漑施設の整備が行われました。
幕府の文教奨励に応じて、諸藩とも学問振興に努めましたが、鳥取藩でも7代藩主斉邦の時を中心に漢学の箕浦世亮、蘭学の稲村三伯、歌学の香川景樹、絵画の土方稲嶺ら数多くの逸材が現れました。安部恭庵の『因幡誌』、小泉友賢の『因幡民談記』、岡嶋正義の『鳥府誌』・『因府年表』などは、郷土史研究に欠くことのできない貴重な文献となっています。
明治4年(1871)廃藩置県により、県名は鳥取県とされ、県庁も鳥取の地に設置されました。しかし、明治9年(1876)鳥取県は島根県に併合され、「鳥取県庁」は「島根県支庁」となりました。鳥取町は県庁を失って一時的にさびれましたが、鳥取県再置要求運動の効あって、明治14年(1881)鳥取県が再置され、県庁は鳥取に置かれることとなりました。
鳥取市のあゆみ
時代 | 西暦 | 年号 | 主なできごと |
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明治 | 1889 | 明治22 | 市制施行 |
1896 | 明治29 | 鳥取40連隊設置 | |
1907 | 明治40 | 仁風閣建築(皇太子を迎える) | |
1912 | 明治45 | 山陰鉄道 京都~出雲間(現在の山陰本線)全通 | |
大正 | 1912 | 大正元 | 千代川氾濫による大洪水 |
1915 | 大正4 | 上水道給水開始 | |
1918 | 大正7 | 千代川氾濫による大洪水 | |
1921 | 大正10 | 鳥取高等農業学校(現在の鳥取大学)開校 | |
1923 | 大正12 | 千代川氾濫による大洪水 | |
1925 | 大正14 | 駅前に温泉湧出 | |
昭和 | 1931 | 昭和6 | 千代川新河道付替 |
1943 | 昭和18 | 鳥取大地震(M7.2 死者1,025人) | |
1949 | 昭和24 | 鳥取大学発足 | |
1952 | 昭和27 | 鳥取大火災(焼失面積1.6㎢) | |
1953 | 昭和28 | 15村合併により市の行政基盤固まる(人口63千人から99千人へ) | |
1955 | 昭和30 | 鳥取砂丘天然記念物に指定 | |
1963 | 昭和38 | 鳥取砂丘国立公園に指定、釧路市と姉妹都市提携 | |
1964 | 昭和39 | 市庁舎完成 | |
1967 | 昭和42 | 鳥取空港完成 | |
1972 | 昭和47 | 姫路市と姉妹都市提携 | |
1978 | 昭和53 | 鳥取駅高架化完成 | |
1983 | 昭和58 | つのいニュータウン事業実施基本計画の認可 | |
1985 | 昭和60 | 鳥取南バイパス、駅南広場完成、ジェット機就航、第40回国体(わかとり)開催 | |
1986 | 昭和61 | 鳥取港一部共用開始 | |
平成
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1989 | 平成元 | 市制施行100年、’89鳥取・世界おもちゃ博覧会開催、市第2庁舎開庁 |
1990 | 平成2 | 韓国・清州市と姉妹都市提携、鳥取港全面供用開始 | |
1991 | 平成3 | 鳥取砂丘の草原化対策に着手(除草実験・松の抜去) | |
1992 | 平成4 | 老人保健施設「やすらぎ」、新産業創造センター竣工 | |
1995 | 平成7 | 市立病院の新築移転、わらべ館の開館、岩国市と姉妹都市提携 | |
1996 | 平成8 | 「日本の渚・百選」に白兎海岸・鳥取砂丘が選定 | |
1997 | 平成9 | 「学習・交流センター鳥取」が完成 | |
1998 | 平成10 |
第22回全国育樹祭、とっとり出合の森で開催 水道局庁舎新築移転 |
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1999 | 平成11 | 議会を含めた情報公開制度の実施 | |
2000 | 平成12 | 鳥取市人口15万人突破、鳥取市歴史博物館「やまびこ館」の開館 | |
2001 | 平成13 | 鳥取環境大学の開学、ハーナウ市と姉妹都市提携、障害者福祉センター「さわやか会館」の開館 | |
2002 | 平成14 | ワールドカップサッカー・エクアドル代表チームがキャンプ、国民文化祭・とっとり2002開催、男女共同参画センター「輝(き)なんせ鳥取」オープン | |
2003 | 平成15 | 個人情報保護制度スタート、市民活動推進センター「アクティブとっとり」オープン | |
2004 | 平成16 | 国府町、福部村、河原町、用瀬町、佐治村、気高町、鹿野町、青谷町との9市町村合併により人口20万人を超える新「鳥取市」が誕生、市駅南庁舎開庁 | |
2005 | 平成17 | 特例市に移行、郡山市と姉妹都市提携、鳥取市の木「さざんか」・花「らっきょうの花」・市民歌を制定 | |
2007 | 平成19 | 鳥取市の鳥「オオルリ」を制定 | |
2008 | 平成20 | 鳥取市自治基本条例制定 | |
2009 | 平成21 |
2009鳥取・因幡の祭典開催 新しい市民憲章を制定 |
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2010 | 平成22 |
鳥取自動車道(県内区間)全線開通 山陰海岸が「世界ジオパークネットワーク」に認定 江山浄水場完成、全面供用開始 |
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2011 | 平成23 |
第31回全国豊かな海づくり大会開催 殿ダム完成 |
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2012 | 平成24 |
鳥取環境大学公立大学法人化 鳥取砂丘「砂の美術館」(常設設備)開設 |
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2013 | 平成25 |
鳥取自動車道(鳥取IC~佐用JCT)全線開通 第30回全国都市緑化とっとりフェア開催 |
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2014 | 平成26 | しゃんしゃん祭50周年記念、しゃんしゃん傘踊りが世界記録達成 | |
2015 | 平成27 |
鳥取市人口ビジョン・鳥取市創生総合戦略を策定 鳥取市医療看護専門学校開学 |
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2016 | 平成28 |
シティセールス スペシャルサポーター任命 |
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2017 | 平成29 | 33年ぶりの豪雪 | |
2018 | 平成30 |
中核市へ移行 記録的豪雨により特別警報が発令 |
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令和 | 2019 | 令和元 |
麒麟のまち圏域が日本遺産に認定 市新本庁舎開庁 |
2020 | 令和2 | 鳥取市保健所が駅南庁舎へ移転 |
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