今回の星宿は、さそり座全体でこの星の並びは蒼龍(青龍)とも見られていて、さそり座全体を3分割し「房:ぼう」宿、「心:しん」宿、「尾:び」宿としていました。
先ずは房宿。この星宿は現在のさそり座の爪の辺りの星が相当します。古代の星座では、さそり座は巨大な爪を持っていました。この爪は、現在のてんびん座の星を含んでいたのですが、てんびん座が独立してしまったため、現在のさそり座の爪はみっともないみすぼらしいものになりさそり座全体の印象も弱まってしまったのです。ところで「房」とは何でしょう。房とは奥座敷の隣にある脇部屋のことで、多くの場合は女性の部屋。貴人の家には東西に2房があり主人がくつろぐ部屋とされていました。また「房宿」は農業の吉凶を示す星としても重く見られていたそうです。ある書物には天帝の乗る4頭立ての馬車とも書かれているそうです。
次は「心宿」でさそり座のアンタレスを含む左右2個と合わせて3個の星。さそり座の主星αの名前はアンタレス、これは皆さん真っ赤な星としてお馴染みですね。アラビア名では「さそりの心臓」を意味していますが、古代の中国では「心宿」で蒼龍の心臓を現し、また「火:か」、「大火:たいか」、「火星」と呼ばれていて、いずれも異様に赤いことに由来しています。
昔、天文学の大先輩が亡くなられた時、俳句、短歌、漢詩などに通暁されていた人が「大火落ち・・・」と読まれたことがありました。火星がちょうど再接近の頃のことです。故人を「大火」と呼んで偲び、その偉業を讃えられたのでした。
古代中国の周(1100から256BC)時代に書かれた中国最古の歴史書「書経」の中にある幾つかの星の記事に「日永く、星は火、持って仲夏を正す」という言葉を見出します。よく聞かれることの中に、今年の中秋の名月の日付があります。この中秋と同じ意味で、1年を4季に別けて1月、2月、3月を春、4月、5月、6月を夏、7月、8月、9月を秋、10月、11月、12月を冬、そしてそれぞれ孟,仲、季を付けて孟春、仲春、季春などと呼びました。この用法で仲夏は5月。昔の陰暦ではちょうど夏至がこの月になります。そこで、上の記事の「仲夏を正す」は、まさしく夏至である、と記述されているのです。この大火:アンタレスが夕方南の空に見える頃を指していることになります。
さそり座の主星アンタレスを挟むように左右に1個づつの3等星。この星を含んだ3個の星を荷物で一杯になった籠を天秤棒で担いでいる人のように見、そして中央の赤色のアンタレスが赤いのは荷物で一杯になった重い籠を天秤棒をしならせながら担いでいる人の姿と見たのは昔の日本人。赤色のアンタレスを「豊年星」「籠担ぎ星」「天秤棒星」などと呼ぶ地方があります。
心宿は心臓そのものでしたが、次の「尾宿」も尾そのものと言った星の並びです。古代中国でも、やはり尾で尻尾と見たようで、蒼龍の尻尾に当たります。さそり座の大きく湾曲した星の並びを含み、日本では「魚釣り星」「鯛釣り星」などと親しまれて来ました。南半球でさそり座を見ると、何とも弱々しい寝そべったさそり。南米チリのアタカマ砂漠に行ったときのことです。あまり大きくない「さそり」が尻尾の毒針を持ち上げたいるのを見つけました。このさそりをフイルムのプラスチックケースに入れて持ち帰ったのでした。が、その後、行方不明です。しかし、このさそりを取り巻くのは銀河系の中心部の星々。東隣の「いて座」へと続くのでした。
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