中華料理店に行くと、彫刻で門に昇り龍が刻まれているのをよく見ます。1980年代のことです。台湾に天文仲間を伴って、現地の天文仲間と交流するため出かけたことがありました。中華料理店は勿論のこと寺院の門にこの昇り龍の彫刻が数多く見られました。
日本でも、何々の登竜門と言うことが多く、例えば文壇の登竜門などと言います。これは、龍は水に強い関係があって、水面からいきなり天を目指して立ち上る様子を表したものです。近年、日本の各地に大きな被害を及ぼしている竜巻、トルネードも局部的に急速に発達した低気圧が、上空の黒雲に向かって地面や水面から物を吸い上げる様子を如実に表しています。また、各地に見られる龍神様。これも水の神として崇められてきた証拠と言えるでしょう。1970年代のことです。当時、完成したばかりの堂平観測所で日夜観測に励んでいました。特に冬から春の関東地方は、世界的にも特異なほど晴天が続きます。よく、赤城颪(あかぎおろし)と言われる強風が関東平野を吹き抜けるころ、堂平の眼下ではあちこちに旋風が発生し、強風を伴って移動していく様子が手に取るように見えたものです。また、幕末の日本の消防体制の中で強力な消化器として使われた手押しポンプ。この名前が龍吐水。龍の口から迸って吐き出される水が重要な役目を果たしたのでした。
さらに、神社仏閣に参拝したとき、先ず行うのが手洗いと口すすぎ。この水が水盤の上にある出口から出ますが、この水の出口の多くが龍の口です。
このように、水と強く結ばれたのが龍。ところで、古代中国では龍は皇帝のシンボルでした。日本でも旧い寺院の天井画に龍が描かれているのをよく見かけます。帝を守るとされるのが龍で、日本の錦の御旗に相当する帝の軍隊の旗には龍が描かれていたようです。
ところで、現在の実際の天球にあるのがりゅう座。天の北極を取り巻くようにくねくねとうねりながら北極を回り続けます。まさに、天帝を守る龍と言った様子です。このりゅう座の頭部にある歪な四角形の星の並び。ここを放射点として出現するのが、有名なジャコビニ流星群です。1972年、流星雨が出現するかも知れないと騒がれましたがこれは空振りに終わってみんなが落胆していました。その何年後だったか、私は名古屋大学で開催されていた日本天文学会に出席し発表を終えると、急いで東京へ帰りました。ジャコビニ流星が現れるかも知れないと自分自身で推測していたのです。慌てて帰宅し、夕食もそこそこに東北の空を見上げて、アッと驚きの声を上げました。何と、ジャコビニ流星群が活発に出現していたのです。ちょうど龍吐水から水ならぬ火が吹き出されるようにでした。後で聞いた話によると、この出現を見た人はほとんどいなかったようでした。
さて、この東方宿の星宿を見ると、さそり座が注目の中心ですね。現在の星座に当てはめるとき、その名称までうなずけるように感じます。房宿近くに「?惑(ケイコク=火星。?は「螢」の「虫」の部分が「火」)」が来て、房宿の赤い星、つまりアンタレスと明るさを競って輝くとき、占いでは戦が始まるとされました。赤く毒々しいまでに明るく輝く2つの星からの連想です。
東方宿が何故季節の春に当てはめられたのでしょう。きっと、春はあけぼの、東の空に陽光が差し始めると、春が東からやって来ると考えたのかも知れません。
そして、太陽は東へ東へと移動し季節が移って行きます。
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