天文セミナー 第208回

『星の風土記』



7.天の北国の物語5

  前回の続きで、「古事記」や「日本書紀」にまつわるお話で「西向きの神々」です。

東京を始め、日本の殆どの神社は南面、または西面していて、参拝者は北面か東面して参拝します。ところが、山陰では出雲大社を始めとして多くの神社の祭神が西面し、参拝者は祭神の横面か背面から参拝しているのです。この違いは、アマテラスに始まる大和系と、オオクニヌシを祖とする出雲系の違いから生れたと考えられるのですが、大和系の背景は古代中国の天子の思想がが反映しています。いわゆる、「天子南面」という考えです。それは、天の北極に座(いま)すと考えられている天帝を中心に文武百官が取り巻く天の朝廷という思想が、地上の朝廷に現されたものです。つまり、天子とは「天の子」で天の意志を地上に広める務めを持つことを表しているのだと言うのです。

 では「古事記」に見られる出雲の神々はどうでしょうか。鳥取では、「因幡の素兎」伝説の「白兎神社」や、八上姫を祀る「売沼(めぬま)神社」があります。この「白兎神社」は西面していて、日の没する方向を向いて鎮座されているのです。出雲の国の語源は”雲の沸き出る国”。そして出雲大社の祭神「オオクニヌシ」は、大和朝廷の「日=太陽神」に対して「地神=大きな国の主(神)」と言えるでしょう。西面きで鎮座するのは、太陽神「アマテラス」に対抗する姿勢を示すのが出雲の神々の祀られ方なのでしょうか。

 「古事記」には「天の安の河の誓約(うけい)」で、アマテラスは「オキツシマヒメ」、「サヨリヒメ」、さらに「タキツヒメ」の三柱の女神を産み、スサノオはアマテラスの髪に巻いた御統(みすまる)の珠を・・(後略)、と記述されています。ところで、この三柱の女神は、現在北九州に鎮座する海上交通の守り神宗像大社の祭神であり、「みすまる」は我々が日頃口にする「まとまる」と言う意味で「すばる星団」の語源。今、この宗像大社の三柱の神を、星空に求めると「オリオン座の三つ星」と考えられます。古事記が編纂された時代、「オリオン座」の三つ星は天球の赤道近くにあり、ほとんど真東から上り真西に沈みます。つまり、方位を示す指針です。三つ星が沈む方向は西の海上でその先には東シナ海を経て遠く中国の大陸があります。蛇足ながら、平家が関係した「厳島神社」の祭神は、宗像大社の三女神を勧請して祀られていて、海上交通の守り神とされています。
さらに、イザナギが黄泉から帰り、身を清めた禊ぎの時に生まれた大阪の住吉大社の祭神・ソコツツノミコト、ナカツツノミコト、ウワヅツノミコトも航海の神でオリオンの三つ星ではないでしょうか。海上交通の要路、大阪から真西に延びる瀬戸内海に沈みます。

 西から文化が渡来し、日本の古代文化を形成したと考えると、このオリオンの三つ星が果たした役割は大きいでしょう。さらに、先述の「すばる」は日本古来の言葉である和語で、平安時代から親しまれて来たのですが、親しまれるにはそれなりの理由があるはずです。その理由を考えるとき、オリオンとの関連が忘れられません。「すばる」は、ご承知のようにオリオン座の近くで多くの星が集まって群れを作り、オリオンに先立って上り、先だって沈みます。つまり、オリオンの先導役と考えられる星の集団で、オリオンの先駆けでもあります。海上交通が未発達の時代、多くの民族は夜空に輝く星々を目印に航海を続けたでしょう。また、星を目印の旅は陸上においても同様であったはずです。現在の灯台やランドマークと言われる様な役割で、私は「星は灯台道しるべ」と、称してきました。もし、出雲を始め各地に到達し生活を始めた古代人が、遠く海の西方から渡来したと考えと、当然、彼らは星を目印に航海したでしょう。これらが、古事記や西面して鎮座する祭神などにも残されているのではないかと私は考えたいのです。


2014年10月の星空

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2014年10月の星空です

10月になり日没がずいぶんと早くなりました。
星空のほうは、夏の大三角がまだまだ見えています。
ただ、頭の真上よりも西側になりましたので、
沈む時刻も早くなってきました。秋の四辺形は、
頭の真上近くに見られるようになりました。
ペガスス座のちょうど胴体にあたる4つの星です。
秋の四辺形には1等星はありませんが、
周りに明るい星がなく正方形に近い四辺形ですので、
意外によく目立ちます。


次 回も、お楽しみに

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