天文セミナー 第193回
『星の歳時記』
1970年2月中旬、私は本田実氏から1通の電報を受け取りました。彗星掃索家として名高いあの本田さんです。本田さんは、これまでの彗星掃索に加えて、新星掃索にも乗り出してこられていたのです。この時まで、日本での新星発見は長野県諏訪市の五味一明さんと倉敷天文台で活躍されていた岡林滋樹さんの2人だけでした。本田さんは、日本人の新星発見の数が少ないことと、天文学に幾らかでも貢献したいとの思いから、写真による掃索を始められていました。2台の同じカメラで同時に露出したフイルムを顕微鏡で比較しての検査です。非常な忍耐と努力が求められます。その結果、2枚のフイルムにそれまで知られていないイメージを見つけられて、当時東京天文台で新天体情報の窓口を担当していた私宛に連絡して来られたのです。場所はヘビ座。明るさは7.0等。新星かどうかの決め手は新星特有のスペクトルが見えるかどうかに懸かっています。早速、国内の関係施設、ここでは岡山天体観測所に連絡し、自分も自ら堂平の観測所に自家用車で向かいました。先ずは、イメージの確認です。50cmシュミット望遠鏡に乾板を装着して、目的の星の場所を撮影。連絡のあった場所にイメージのあるのを確認し、次はスペクトルの撮影。50cmシュミット望遠鏡には、対物レンズの前に装着する対物プリズムがあります。近所の星のスペクトルに重ならないように、スペクトルの分散方向を合わせます。撮影した乾板で新星特有のスペクトル、Hαの輝線が確認できたのです。こうして、日本人により写真での新星掃索の幕が上がったのでした。この新星の国際登録された名前はFHSer=N1970、変光星ヘビ座のFH。国際的には、変光星に分類されるのです。新星は、連星系を作る星の内の軽い星から重い星に向かって質量が移動するときの現象と言うことが現在では知られていますが、1970年頃にはまだ実証されていませんでした。それでも、まだ現在も新星の研究は重要なことに変わりはありません。 |
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