1950年代ことです。当時私が勤務していた東京天文台では、月による恒星の掩蔽の光電管による観測を行っていました。黄道にある星は、月の軌道に近いので月が移動すると隠される機会があります。月に隠される時、月の背後から出現する時を狙ってその瞬間の時刻を精確に測定して月の運動理論をより精密化しようという試みです。
ある日、私たちはしし座のα星の観測を行っていました。観測は、望遠鏡の焦点面におかれた直径0.5mm程の穴、ダイアフラムに正しく星を導きながら望遠鏡を操作する役と光電管からの電気信号を取りだして長い記録紙の上に記録する役とのチームワークです。私は、対象の星を見つめながら望遠鏡を操作していました。口径65cmもの大屈折望遠鏡の操作には手こずります。何しろ筒の長さが凡そ12m、動く部分の重さは6トン。
潜入の時には星の光が、一瞬に消え、出現では一瞬に現れます。しし座のα星は、黄道にある1等星。まばゆいばかりの明るさです。このような観測を何年にも渡って行いましたが、しし座のα星のように明るい星が隠される機会はそれほど多くはありませんでしたのでとても印象強く今でも鮮明に記憶しています。
しし座のα星。よく知られたレグルスで獅子の心臓に当たります。このシリーズの186回にも登場したトルコのエフェソスの遺跡。ここで見つけたのがライオンの首を持ったヘラクレスの像。ギリシャ神話に登場するヘラクレスの12の冒険の最初です。ローマ遺跡には数多くの破片が所狭しと散らばっていて、ガイドさんに教えられなくては見つけることは困難ですが、幸運にもヘラクレスやメドゥサの首を見つけたのでした。
ローマ人も 聞いて残した ヘラクレス。 香西蒼天
さて、このしし座には有名な流星雨の放射点があります。毎年、11月の中旬に見られる「しし座流星群」です。2001年の出現は、日本でも多数の流星が出現し、最も多いときには1時間に3000個から4000個もの出現があり、まるで大雨に出会ったようだったという人もありました。流星群は、よく知られているように彗星を母天体として、母天体の軌道にまき散らされた彗星の破片が地球と衝突して発光する現象です。このしし座流星群の母天体は、テンペル・タットル彗星で周期は33年。つまり、33年毎に太陽の近くへ帰ってくるのです。しかし、軌道の傾きが162度もあるので地球と正面衝突に近い状況で地球の大気に突入してきます。従って地球と出会うときには地球の公転の速度に彗星・ここでは流星になる前の物質の速度が加わって秒速71kmにもなっています。この早さは、流星の中で最も早い速度です。2001年に引き続いて翌年も出現しましたが、その後は、これほど多くの流星が見られた記録はありません。この流星雨は1799年11月12日の明け方、ドシャ降りとも例えられるほど多くの流星が現れ、1時間に100万個ほどの流星が見られたのだろうと言われています。フランスの文豪・ロマン・ロランの戯曲に「しし座の流星群」があることもよく知られています。
流星を 吐き散らしてか 獅子の口。 香西蒼天
毎年、しし座流星群が近づくと群馬県館林市の郊外多々良沼湖畔で行った堂平観測所との2点同時観測を思い出します。かなり多数の出現が観測された、と。
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