天文セミナー 第169回

『星の歳時記』



1.梅雨空のネックレス 冠座

 前回までの「佐治の夜空を見てみよう!」は如何でしたでしょうか。お気に召したら幸いです。さて今回からは、俳句の歳時記に習って「星の歳時記」と題して自分勝手なお喋りにさせて頂きましょう。出雲名物「いずもそば」ならぬ星を薬味の天上天下の気ままな行脚。お読み頂き、面白ければそれで良し。終わりよければ総て良しといたしましょう。

  さて、梅雨闇と言う言葉があります。梅雨時の、鬱陶しい日々、特に雨雲が低く垂れ込めた夜など、手元に明かりがないとそれこそ一寸先も見えないような闇に包まれて、不安を感じてしまうことがあるでしょう。このような状況のことをきっと梅雨闇と言うのでしょう。特に、夜間明るい部屋から急に暗い外へ出たときなどに感じますね。

 長年、夜空を見つめて来た者にとって、夜の世界にはそれほど不安を感じませんでしたが、歳を重ねて来ると近くの人達が夜は明るい方が良い、と言うのが理解できなくはなくなりました。梅雨空には、一種独特な雰囲気があり、人を不安に落ち入れる雰囲気があるようです。だがしかし、ここで梅雨の雨上がりの一時、屋外に出て夜空を見上げてみてください。雲の切れ間から、きっと清らかな光を投げかけて光る星達を見つけるでしょう。

 梅雨闇に 泰山木の ほの白く    香西蒼天(筆者の俳号)

 私の家の庭先に、一本の泰山木があります。この泰山木は、梅雨時になると純白の大輪の花を付けますが、一日花と言うのでしょうかその日限りで翌日には褐色に変わり花びらを散らしてしまいます。はかない命と言えばそうなのですが、純白の花びらが梅雨時の夕闇の中に浮かぶ有様には、一時うっとうしさを忘れます。

 そして、夜になって梅雨空が晴れていれば、その泰山木の上には「夜空のネックレス」冠座が、私を待ってくれています。珠玉の様に夜空に懸かる冠座。良くもこんなに見事な星の配列があったものだとさえ感じます。皆さんがよくご存じのギリシャ神話では、ミノス王の娘アリアドネの王冠だと言われていますね。また、雷が鳴ると梅雨が明けると言います。その雷が持つ太鼓にも似ていませんか?。梅雨明けを宣言した雷が、慌てて天上へ去った時に忘れて置き残した太鼓だという言い伝えもあるそうです。

 1970年代のことです。新しく建設された東京大学東京天文台木曾観測所で、まだ正規の観測は始められていない頃のことです。数人で、試験観測の傍ら観測所の留守番もしていました。ちょうど梅雨時のこと。あまりもの長雨にうんざりしていました。夜になって雨音が聞こえなくなったので外へ出て夜空を仰ぎ見たのです。雲の切れ目から見えたのは「星のネックレス」「真珠の王冠」だったのです。雨に洗われ、あくまで透明になった夜空に輝く王冠、今でも忘れることができません。

 話変わって、砂漠でのお話。毎日毎日雲一つないように晴れた日が続きます。天文観測には申し分のない場所。シルクロードのある場所です。晴れた夜空には星達の饗宴が繰り広げられるのですが、その夜空が日本の梅雨の晴れ間ほどには透明に感じられないのです。改めて日本の梅雨の晴れ間の夜空を思い直したのでした。

 そこで一句、晴れた夜空に思いを懸けて

 梅雨空に 我も一刻 リルケの詩   香西蒼天


2011年7月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2011年7月の星空です
夏の星たちが東の空に見えます。
3つの一等星を見つけて、夏の大三角を結びましょう。
南の空にはさそり座も見えています。
一等星アンタレスが目印です。


次 回も、お楽しみに

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