さて、先月に引き続いて「無は何も無いのか」について考えて見ましょう。望遠鏡を使って、夜空を眺め回したガリレオが、夜空の何も見えないところにも「光るもの」があることを知ったことは、それまでは神の領域であった天空にも人の知恵が及び始めたことを物語るのでした。暗い夜空には、目に見えない「光る物=星」があることを知ったときの驚きはいかほどだった事でしょう。それこそ、目から鱗が何枚も剥げ落ちたことでしょうね。こうして、それまでの神の世界が自然科学=サイエンスとなったのではないでしょうか。
夜空に流れる天の川。現在の我われは星の密集した場所であることをよく知っていますが、あるとき東京の星好きの人たちを伴って富士山へ星見に行ったことがありました。富士山の南側から登る新富士スカイラインの五合目に到着し、見上げると満天の星が降るように輝いています。同行の中の一人が「先生、あの雲がないと素晴らしい星空なのでしょうね」と語りかけてきました。何度見直しても雲はありません。指差す方向には、明るく流れ下る天の川だけです。そうです。この人が見たのは東京では決して見ることができないような雄大な明るい天の川だったのです。見えない物が見える。何と素晴らしいことではありませんか。
17世紀は発見の時代だ!と言われます。それまで、神の領域であった自然について多くの人々が強い関心を示し、何とかして見えない物を見ようと励んだ結果、多くの新事実が発見されたのでしたが、その背景には新しい事実を見つけるための手立て、つまり新しい観測機器の開発と発明があり、多くの人の血の滲むような努力があったのです。
私達におなじみの、ギリシャ神話。この神話に登場する神や動物の中に混じって17世紀に発明された幾つかの理科用の器具が天に上げられて星座になりました。ポンプ座、六分儀座、八分儀座、さらに望遠鏡座や顕微鏡座などは当時の発明による器具で、サイエンスになった自然探求に大きな貢献を果たしました。
これらの器具を発明したのは、他でもない自然の不思議に強い関心を持っていた人たち自身だったのです。夜空に光るあの物体は「星」。その星をもっと知りたい!という希望が望遠鏡の発達を促し、天の川が星の大集団であることを突き止め、さらに多くの見えない物へと挑戦していきました。そうです、暗闇への挑戦です。
暗い夜空に何があるか?という素朴な疑問が宇宙という、それまでに漠然としてしか考えられていなかった問題に解決の糸口を見つけ出し始めたのでした。
「星」、それこそ数え切れないほど見える「夜空の光物」。初めは点像に輝く物体を星と名付けていましたが、観測の手段が豊富になり幾つかの「星」が点像でないことも知られるようになると、ボーっと見えるような物もあることがわかり「星雲」と名付けられました。現在、アンドロメダ星雲、オリオン星雲と呼ばれているような天体でした。
星のほかにも光るものがあることが知られると点像の星と、ボーっと光るガス状の天体の相違に関心が集まります。夜空に光るあの物体は?と夜空の深みにいよいよ深くはまり込んで行くのでした。
さて、夜空にも星以外の天体があることが暗闇の探求から判り始めると、関心はさらに奥く深くを知りたいと言う気持ちと同時に、個々の天体の謎の解明にも集まります。古代から知られてきた身近な天体からさらに広がります。
佐治天文台には口径103cmの反射望遠鏡が設置されています。これは、国内有数の大きさを誇っていますが、見えない物を見たい、また多くの人に見て体験してもらいたいと言う願いから建設されたもので、現在では鳥取市の文化の一翼を担い、情報の発信基地としての役割を果たし、多くの市民に親しまれる施設となり文化の財産として末永く皆さんに親しまれたいと職員一同念願しています。
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