天文セミナー 第150回
『日本の天文の歴史(X)』『日本の望遠鏡(X)』
明治の初期、日本に芽生えた近代の天文学は、位置天文学と言われる分野で、当時の天文学の主流でした。天体の位置を高精度で測り、時刻や暦の基本になる量を確定することに重点が置かれていました。こうした事情を背景に、いろいろと紆余曲折はありましたが、1877年(明治10年)4月に東京大学が誕生し、理学部に「数学・物理及び星学科」が設置されました。翌年の1878年(明治11年)2月8日に「文部省所管東京大学理学部所用の為め観象台一宇本郷本富士町、文部省地内に於いて建設致度、・・・云々」。こうして、日本に於いて本格的な近代天文学の研究施設が産声を上げたのでした。この年をもって東京天文台の創立の日と決められたのでした。産声を上げた東京天文台もその後幾つもの曲折を経て、1888年(明治21年)の閣議で天象観測と編暦事業は文部省所管とし麻布にあった海軍観象台の地に東京天文台を設けて東京大学理科大学の所属とすることが決まったのでした。1909年(明治42年)に東京府北多摩郡三鷹村に92,830坪の土地を得て、1914年(大正3年)に
、新しい天文台の建設工事が始まったのでした。1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を被った麻布の天文台から三鷹の新天文台への移転は急速に高まり1924年(大正13年)には主要部分が引越しを終え、麻布の建物や機器は東京大学理学部天文学教室の所属になり学生の講義や実習の場となったのでした。 |
明治時代に花開いた、日本の近代天文学は使用されていた機器に付いても輸入品に頼ることになります。例えば、当時の東京天文台の機材と言えば、先にも書きました岩倉使節団がイギリスで購入した8インチ屈折望遠鏡(トロートン赤道儀)、海軍水路部から引き継いだ16cmメルツ赤道儀、13.5cmのレプソルド子午儀、14cmのレプソルド子午環などで、天体の位置観測に重点が置かれていたことを物語ります。1924年には新しい天文台が三鷹に完成し、麻布からゴーチェ子午環、レプソルド子午儀、ブラッシャー天体写真儀、シュタンハイル太陽写真儀、テッファー分光太陽写真儀、そして三鷹に新設されたのは塔望遠鏡、20cmと65cmのツアイス屈折望遠鏡などでした。これらの機器が、終戦の年(昭和20年)以降も観測に使われてきたのです。 |
2009年12月の星空 (ここをクリックすると大きな画像になります) |
次回も、お楽しみに |