天文セミナー 第149回
『日本の天文の歴史(W)』『日本の望遠鏡(W)』
さて、これから日本の天文台の歴史を簡単に述べることになるのですが、皆さん天文台の台とは何でしょう。私が、現役時代を過ごしたのは当時の東京大学東京天文台(現・国立天文台)でした。ある日、見学に来た人たちの中の1人が、不審そうに周囲を見回して「天文台は何処にあるのでしょうか」と聞き出したのです。天文台という場所に居ながら、天文台の所在地を尋ねるのでした。誰でもが不思議に思うことの一つに、天文台の台のことのようです。このシリーズの2回目を思い出してください。日本での最初の占星台、中国での天文台。いずれも盛り土の高台が観測場所に選ばれていますね。この台が天文台のルーツで、現在では天体観測を行っている施設そのものを天文台と称しているのです。気象台にしても、気象を観測する器具が置かれていた露台が名称のルーツになっているはずです。 |
ところで、日本に望遠鏡が渡来したのはいつ頃のことでしょう。リッペルスハイが発明し、ガリレオが天体を観測したのが1609年。日本にはまだ到底その様な情報は入っていませんでした。しかし、それほど遅くはなかったとも考えられています。日本で、本格的な遠眼鏡が造られ使用され始めたのは、泉州の岩橋善兵衛(1756から1811年)や、近江の国の鉄砲鍛冶・国友藤兵衛(一貫斉)(1778から1840年)による功績がもっともよく知られています。国友藤兵衛は、鉄砲鍛冶でしたがその技術を使って望遠鏡を作ることを考え、中でも金属の反射鏡を使い反射望遠鏡を製作しています。さらに、彼は自作の望遠鏡を使って太陽や月などの天体観測を行っていて、いわば望遠鏡による天体観測の日本での始祖とも言えるような業績を残しています。また、岩橋善兵衛は、もっぱらレンズを使った屈折望遠鏡を製作し、販売しています。この2人のほかにも幾人かの先覚者が望遠鏡を製作し、実用に供していることが知られています。特に、実地に使用した例としては伊能忠敬による日本全国の測量の時に目的の場所の確認や、星の観測による経緯度の測定に使われ、高い精度で日本地図を作り上げたのでした。 |
2009年11月の星空 (ここをクリックすると大きな画像になります) |
次回も、お楽しみに |