天文セミナー 第145回

『日食物語(W)』『日食観測のテーマは?』



日食物語(W)

 前回までの日食伝説は如何でしたでしょうか。今月は、いよいよ日本で皆既日食が見られる月。多くの人たちが、この世紀の天文ショーを見ようと、皆既帯に出かけることでしょう。しかし、日本で見られるのは九州南部のトカラ列島。小さい島が点在する過疎の場所です。中には、大型の船によって海上から観測を試みる方や、中国大陸に観測地を求めて出かける方も多く、また外国からの観測隊や観測ツアーの来訪も多いことでしょう。
 ところで今回は、有史以来の日食の記録を紐解いて見たいと思います。さて、日本の日食の記録は「日本書紀」の推古天皇34年3月2日の項に「日有蝕尽之」(日ハエ尽タリ)と記載されているのが最初だとされています。この記事を西暦に直すと628年4月10日となります。この記事に見られる日食の5日後に推古天皇が薨去され、舒明天皇に皇位が引き継がれたのでした。何となく、不吉な予言を、日食から感じるのは私だけではないでしょう。
 さらに、中国では西暦前20世紀までも記録を辿ることができ、もっとも古いのは「夏」国の仲庚(帝)の時代である西暦前2137年10月22日の記録だそうです。その後、この記録は継続されていて、中国の青史(正史)に書き残されてきました。この中国の制度を見習ったのが、朝鮮と日本でした。現在でも、天文現象の古い記録を調べることができるのは、この中国の制度が中国、朝鮮、そして日本に引き継がれ残されているからです。
 中国には、天の意向を地上で行い広めるのが帝の役目とされ、其の役目柄から帝を「天子」と称し、天子に天の意向を読みとり伝えるのが「天文博士」の役目でありました。
 ハレー彗星の出現記録が、太古までさかのぼれるのも、中国、朝鮮、そして日本に残された記録があったからです。
 シェイクスピアの戯曲「リア王」では、「引き続いて起こった日月食は、不吉な前兆であったのだ」とリア王が独り言を呟きます。
 日月食などを、不吉の前兆と考えるのは古今東西、共通のことなのかも知れませんね。


日食観測のテーマは?

 日食と聞くと居ても立っても居られない人が多いようです。それほどまでに関心を買う天文現象ですが、多くの人はこの自然の現象に感動と不思議を感じて、何度でも見たいと世界各地に出かけるのです。
 ところで、かつてはこの日食の現象から多くのことを学んで来ました。古代の宮廷などが天文博士を役職として設置したのは、天のお告げを天子に間違いなく伝えることが大きな目的だったそうです。そして、日月食の予報が最も重要な役目の一つでもあったのです。 科学が日食の原理を解き明かしてからも、多くの分野で日食観測が続けられてきました、そして現在でも専門の研究者が多くの機材を持って出かけます。
 天文学の中に、位置天文学とか天体力学と言う分野があり、天体の運動理論を研究している研究者がいます。日食は、太陽と月が合(同じ方向)になって起きる現象なので、太陽や月の運動を詳しく調べるチャンスです。太陽の運動とは、地球の公転の反映なので地球の公転理論の完成に欠かせません。また、月の運動は太陽、地球、そして月の3つの天体の引力(重力)さらに、他の惑星の重力も考慮する必要があります。これらを検証する絶好の機会でありますね。こうして、太陽と月が出会う第一接触から、離れる第四接触までの四回の接触時刻を正確に観測から求めようと苦心してきました。しかし、太陽の縁はまぶしく、また月の縁はギザギザ。直接肉眼で観測することも重要でしたが、写真に撮って後日測定を繰り返して接触時刻を求める方法が長く使われてきました。こうした研究の成果が、現在の運動理論の成果に反映されているのです。
 さて、力学以外ではどうでしょう。皆さんはヘリウムという元素をご存じですね。水素の次に軽い、原子番号が2の元素です。この元素が発見されたのは、日食の際に得られたスペクトルの解析の結果でした。スペクトルの中に、それまで見たことも聞いたことも無い新しい元素が発生する線が1868年にイギリスのロッキヤーによって発見され、これがヘリウムと名付けられました。ヘリウムは、太陽の意味のヘリオスに由来する命名なのです。宇宙で最も初めに生まれたのが水素とヘリウム。ちなみに、地上にはこのヘリウムが微量しか存在しないため、発見当時はまだ知られていませんでした。



2009年7月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2009年7月の星空です。
今年は世界天文年2009です。
梅雨明けが待ち遠しいですね。
7月22日は日食が見られます。


次回も、お楽しみに

天文セミナーに戻る