天文セミナー 第128回
『年末はいつ?』『人工衛星打ち上げ50周年(2)』
先月は年初、つまり年の初めについて考えてみました。年初の次は当然年末。この年末についても考えてみたいものです。1年の長さは365日と決まっていますが、太陽の周りを地球が1周する時間=周期=1年は正確に1日の単位ではありません。詳しくは365.24219日で、小数点以下を含みます。従って、小数点以下の取り扱いが重要になるのです。小数点以下を無視すると、季節と太陽の位置に狂いが生じて生活に不便を感じることになります。この不便を解消するために設けられたのが閏年の制度で、西暦紀元前46年、ローマの元老ジュリアス・シーザーが太陽暦を制定して当時のローマ帝国の全土に普及させました。この太陽暦は4年毎に閏年を置くことにした単純なものでしたので西暦4世紀以降ローマ法王庁がこの暦で宗教行事を実行してきたのですが、年を重ねるに従い季節と暦がずれてきて、ついに1582年に当時のローマ法王グレゴリオ13世によって現在の暦に変更されたのでした。この暦、つまりグレゴリオ13世によって施行されたのが「グレゴリオ暦」なのです。日本では、明治31年の勅令第90号によって「朕閏年に関する件を裁可し茲に之を公布せしむ神武天皇即位紀元年数の4を以って整除し得べき年を閏年とすただし紀元年数より660を減じて100を以って整除し得べきものの中更に4を以って商を整除し得ざる年は平年とす」と決められています。神武紀元=西暦+660であることから、上記のような表現になったのでした。2008は4で割り切れるために今年は閏年となるのです。ところで、なぜ2月末に1日を加えることによって暦と季節の一致を調整するのでしょう。 |
ソ連の人工衛星打ち上げ成功のニュースに振り回されたのは、報道関係にとどまりませんでした。東京天文台には、報道関係者の波が打ち寄せてきたのです。東京天文台では、アメリカの人工衛星打ち上げに合わせて、日本国内の光学観測態勢の責任を負っていたのです。そのために準備していたのは、L(エル)字形に曲げた光学系をもつ広い視野の望遠鏡とその使用方法、そして観測網の編成でした。しかし、この観測網も実際の観測対象がないために練習もできず機材の調整の段階で、ソ連の打ち上げの報に接したのでした。ソ連は、打ち上げに成功し、それを「スプートニク」と命名、地球の周囲を90分で周回していると、誇らしげに発表しましたが、われわれはまだ見ていません。そこで、報道関係各社は実際に見てみたらどうか!と言うわけで、東京天文台に飛行機による観測と検出を申し込んできました。検討の結果、私と同僚の2人がそれぞれ別々の新聞社の飛行機に乗り薄明の夜空に飛び立ったのでした。私はA社の「朝風」と名付けられた低翼の単発機で、仙台の上空から太平洋へ向かい、高度およそ8500mで東方に向かいます。当時の飛行機には与圧機能がありません。もっとも与圧機能があっても、ウインドーは開かれたまま。寒気が容赦なく肌身を刺します。およそ1時間ほどの飛行でも全く見えず。冷え切った体を温めるために急降下して高度3500m。それでも寒さに震えながら、見えなかった失望に打ちひしがれて羽田の飛行場に降り立ったのでした。さらに、このような検出と観測の飛行を数回繰り返しましたが、結局飛行機での検出は不成功に終わったのでした。その後、各国からの情報が通信社を経由して届くようになり、おおよその軌道を基に予報が出せるようになり、薄明の夕空を突き破るように進む光った点像を仰ぎ見たのです。そして、いまアメリカが欲しいものは「スプートニク」、ソ連が欲しいものは「スープと肉」などと、冗談を飛ばしながらも、毎秒8kmという高速度をどのようにして得たのだろうか?と、素朴な疑問をもったのでした。何しろ、強力な爆発で知られる「ダイナマイト」の爆風ですら秒速1km以下であることが知られていたからでした。 |
次回も、お楽しみに |