天文セミナー第214回(2015年4月)「星の風土記」13.南方の国の物語1(南方宿(朱雀))登録日:
天文セミナー 第214回 『星の風土記』
13.南方の国の物語1(南方宿(朱雀))
今回から、南の星宿、南方宿です。日本の平城京、平安京、つまり現在の奈良と京都はいずれも古代中国の古都・長安?がモデルになっていることは周知の通りです。が、しかし京都の平安京は一千三百年を経過する間に都市の区画が変更され古の平安京の区割りとは大きく異なってしまいました。ところが、奈良では平城京の発掘調査が進められ、現在都の中枢とされていた太極殿が遷都一千三百年を記念して復旧再建されその威容が目の前に現れました。私は、復旧作業中にこの太極殿を始め幾つかの遺跡を見学する機会に恵まれました。非常に広い平城京の城域、太極殿をほぼ北の端にしてその南方遙か彼方に朱雀門、太極殿の背後つまり北には玄武門の遺跡が発掘されていました。太極殿と朱雀門の間に皇?という政が行われる一角があったようです。この朱雀門の南で東側が東市、西側が西市と呼ばれていたそうです。つまり、太極殿から朱雀門を経て南に連なる大路が都のメインストリートと言う訳です。
古代中国、つまり隋唐の時代の首都、長安の都の宮城・皇城は都域の北に偏った位置にあるように感じますね。ところが、古代中国の人の考え、世界観から見れば此所こそ世界の中心だと言う訳です。何故でしょう。天帝のいる北辰は北で、しかも中天です。太極殿は帝、ここから南に延びる朱雀大路は、言ってみれば地軸。この軸を回転軸として世界は回転すると言うのです。現在、日中の関係があまり好ましい状態ではないと言われますが、この朱雀大路を回転軸として世界が廻るという考えは、中華思想の表れだとも言われています。
帝を中心として、文武百官が威儀を正して伺候するのが地上の宮廷、その姿を天球に見立てたのが古代中国のいわゆる星宿だったのでしょう。結局、天子の思想が地上では都の区割りに、天球では北極星を取り巻く垣根としての星だったのです。
さて、古代中国の都、その直接の影響を受けた平城京、平安京の話が長くなってしまいました。今回からは、都大路、メインストリートの朱雀宿。
南方宿(朱雀:すじゃく::しゅじゃく)
夏
22.井 せい ふたご座
23.鬼 き かに座
24.柳 りゅう うみへび座
25.星 せい うみへび座
26.張 ちょう うみへび座
27.翼 よく コップ座
28.軫??? しん からす座
南方宿の季節は夏。南方にある太陽がもっとも強く感じるのが夏と言う訳でしょうか。しかし、現在の星座で考えると、冬から早春。全く季節感がありません。最初の頃に書きましたように、二十八宿を七つづつの星宿に別けて四等分し、さらに適当に東西南北の方位に割り振って季節を現す、としたからでしょうか。
2015年4月の星空
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2015年4月の星空です
4月になりました。宵の明星「金星」が、夕方西空でとてもよく目立ちます。西空には冬の星たちが見えますが、金星の前では明るい星が多い冬の星たちもかすんでしまうほどです。南から東にかけては春の星たちでいっぱいとなりました。北斗七星から春の大曲線、春の大三角とたどってみましょう。アルクトゥルス、スピカの2つの1等星が目印です。頭の真上近くでひときわ明るいのは「木星」です。
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