天文セミナー第229回(2016年7月)「名付け親の楽しみ。」第13回 天皇の名前登録日:
天文セミナー 第229回 『名付け親の楽しみ。』
第13回 天皇の名前
No.25
(5017) Tenchi=天智(天皇)=1977DS2 発見日:1977 Feb.18
命名の由来:漏刻を作る
No.26
(5018) Tenmu=天武(天皇)=1977DY8 発見日:1977 Feb.19
命名の由来:司天台を作る
日本書紀には、斉明天皇6年の夏・5月に皇太子(ひつぎのみこ)始めて漏剋(ろうこく)を造る。民をして時を知らしむ、との記事を見ることができます。日本で初めて水時計が造られ、民に時が知らされたのです。ここで、皇太子とは中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)で、後の天智天皇。今、6月10日を時の記念日としているのはこの故事によるもので、当時は当然のことながら太陰太陽暦でいわゆる旧暦。この旧暦の日付を現行の太陽暦に換算して設けられました。滋賀県大津市には天智天皇を祭神とする近江神宮があり、境内には、復元された水時計の他、多くの時計が展示されています。面白いのは、現在でも時の記念日の6月10日には、古式豊かに古代の衣装をまとった人が時の鐘を打つ仕草を奉納するのです。ある年など、関西の天文関係者がこの役目を仰せ付けられて、古式豊かな行事に参加したのです。時とは何でしょう。鴨長明(かものちょうめい)が書き残したのが「方丈記」。方丈とは1丈四方のことで、およそ9平方m。狭い住まいで、書き残した方丈記の書き出しは、「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく留まらず。」と時の流れの移ろいやすさとを身に沁みて書き残しまた。時の概念と、人の生活を漏剋で示したのが天智天皇でた。
次の、天武天皇は天智天皇の弟で大海皇子(おおあまのみこ)。壬申の乱で帝位を継ぎます。その天武天皇の4年春正月の朔日に大学寮や陰陽寮の司が天皇を拝し、5日に始めて占星台を興(た)つ。と記されています。日本最初の天文台です。この天文台は、当然ながら現在の天文学に通じるような天文台ではありません。当時は天子は天のお告げの代行者であるという考えで、政治は天のお告げを守って行うのでした。天からのお告げを見つけ、意味を読み取り、天子に報告する役職が必要です。この役目を天文博士が担っていたのです。天文博士は、毎夜毎夜、占星台に上り天のお告げを見守り続けました。そして、翌朝になると天子に変化の有無を報告したのでした。
日本を含む漢字圏に残る古い記録を青史または正史と言います。日本書紀も正史と呼ばれる記録。これらに残された多くの天文現象は、時の天皇の政治を陰から支えていた天文博士の努力の賜だったのです。
近江神宮は拝観出来ますが天武天皇の占星台だと確実に言えるような遺跡は見つかっていません。発掘調査で、占星台跡?と言われる遺構が見つかったと言う報道は見たことがありましたが。何度も訪ねた明日香の地にも見つかっていないようでした。
余談ですが、天皇の名前を小惑星に付けるなど不謹慎極まる!と言う言葉が多く聞かれました。が、しかしある国際会議で現在の天皇が「私の先祖の天皇の名前が星に付けられ、大変嬉しく思います」とのお言葉が有った時には、良かった! とつくづく思ったのでした。こだわりも此所まで来ると極まりですね。
2016年7月の星空
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2016年7月の星空です
7月になると梅雨が明け夏への期待が高まる頃です。星空も東の空には七夕の星、そして夏の大三角が見えやすくなりました。「ベガ」「アルタイル」「デネブ」の3つの1等星で直角三角形を作ってみましょう。「木星」は西の空に低くなりましたが、「火星」と「土星」は南の空でよく見えます。2つの惑星の間には、「アンタレス」があります。「釣り針のような形」とも言われる「さそり座」を結んでみましょう。
次回も、お楽しみに