天文セミナー第236回(2017年2月)「名付け親の楽しみ。」第20回 筆者の郷里と文人墨客登録日:
天文セミナー 第236回 『名付け親の楽しみ。』
第20回 筆者の郷里と文人墨客
No.17
(4186) Tamashima=玉島=1977DT 発見日:1977 Feb.18
筆者の生まれた町。岡山県西部で国立天文台岡山天体物理観測所も近く、江戸時代に瀬戸内海海上交通の要路として栄えた。源平水島の合戦の戦場だった。
No.18
(4272)Entsuji=円通寺=1977EG5 発見日:1977 Mar.12
筆者の家の近くの禅宗の寺。良寛和尚(1758-1831)の修行した寺として名高い。瀬戸内海国立公園の展望絶佳の地。眼下に源平水島の合戦の戦場跡が見える。
NO.31
(6031)? Ryokan=良寛=1982BQ4 発見日:1982 Jan.26
前出の円通寺で修行した禅僧で短歌、俳句、書に秀でた江戸時代の高僧。
霞立つ 長き春日を 子供らと 手まりつきつつ この日暮らしつ。
良寛。
春の日に子供達と手まりつきに興じていて今日も終わった、とでもよむのでしょうか。大愚と号し沙門とも言った江戸時代の曹洞宗の禅僧だった良寛が読んだ歌です。私が住むのが岡山県倉敷市玉島。古くは瀬戸内海航路の港町で、千石船が頻繁に往来し、浪速の港から蝦夷地と呼ばれていた北海道までの交易に携わり賑わったものです。この玉島の港を見下ろす小高い山、白華山に円通寺という禅宗の古刹があり、現在も多くの観光客が足繁く訪れます。このお寺。私の子供時代には格好の遊び場でした。この寺で修行したのが若い日の良寛。子供心に良寛さんという偉い坊さんがいたと教わっていた寺でした。良寛は、越後出雲崎の出身で、円通寺の国仙和尚の教えを請うべく玉島の地を訪れたのでした。当時、玉島は商家が軒を並べ殷賑を極めていた時代。それでも、禅の修行の身である良寛は、街道を歩み、軒先で托鉢し、衣が汚れると自分で洗濯して繕い修行に励んだのでした。
現在の円通寺には、良寛堂という建物が残り当時を偲ばせてくれます。小さな建物で内部も狭く、ここで修行に励んだのかなー、と感じるほどです。そして、最も貴重なのが良寛が修行を重ねた結果、師の国仙和尚から卒業証書とでも言える「印可の偈(いんがのげ)」を渡された部屋、高方丈でしょう。通常の方丈より一段と高い大きな岩の上に立てられた狭い部屋です。ここで、良寛が師・国仙から印可の偈(いんがのげ)として受けたのが、一本のねじれた木で造られた杖だったそうです。
師から卒業証書を貰った良寛は、各地を托鉢しながら郷里・越後の出雲崎に帰るのです。現在も出雲崎の周辺には良寛に関わる多くの事跡が残ります、がしかし良寛にとって玉島での修業時代が忘れられなかったようで、幾つかの漢詩・短歌を残しています。現在の、JR新倉敷駅の南口、階段の脇には地元の良寛会の寄付によって、先述の短歌と共に手まりつきつつ遊ぶ姿の銅像が建てられ、観光客を誘います。筆者の、幼い頃の遊び場の一つで、山内の木々や岩にもそれぞれの思い出が秘められています。この思いを名前に込めたのです。
良寛の 学びし寺門 仰ぎ見て 我も辿らん 先哲の道
香西蒼天。
小惑星Entsuji(円通寺)が連星であることが詳しい観測から判りました。まるで良寛の師・国仙和尚の回りを巡る姿。円通寺での一コマを見るようです。
2017年2月の星空
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2017年2月の星空です
夕方、西空で金星と火星のランデブーが楽しめます。金星を見つけたら、その少し上にある火星を探しましょう。「オリオン座」が南の空にやってきて、1月の頃よりも堂々としているように感じます。冬の星空にある1等星も、一つずつたどってみましょう。明るさと色の違いにも注目です。東の空には「しし座」そして北東の空には「北斗七星」が見えています。春の足音を感じますね。
次回も、お楽しみに