みなさんは、昨年保存整備が完了し、一般公開を始めた国府町にある国指定重要文化財「旧美歎水源地水道施設」をご存知でしょうか。
実は、2018年(平成30年)4月にプレオープンして以降、月に500人以上が来場する人気スポットとなっています。「静かな雰囲気に癒やされる」、「洋風な建物がかわいい」、「散歩感覚で鳥取の歴史に触れられる」など、県内外の幅広い世代から親しまれています。最近では、小・中・高等学校の遠足先や結婚式・成人式の前撮りなど、レクリエーションイベントやフォトスポットとしても注目されています。
このように観光地として人気を集め始めた旧美歎水源地水道施設ですが、さらに「近代化遺産」という側面からも、全国から支持を受けています。今回は、「近代化遺産」としての旧美歎水源地についてご紹介するとともに、7月24日から26日にかけて本市を中心に開催される全国大会についてご案内します。
幕末から第二次世界大戦期までの間に、近代的手法によって建設され、我が国の近代化に貢献した産業、交通、土木に関する遺産を「近代化遺産」といいます。
私たちが日頃使っている水や電気、鉄道などの都市基盤や生活を支えるさまざまな産業・文化の多くは、幕末から明治、大正、昭和という日本の近代期に、先人たちが海外の技術などを取り入れながら必死に造り上げてきた施設やシステムが基礎となっています。近代化遺産は、私たちが目で見て、手に触れることで近代化への情熱と知見を体感できる貴重な資産とされています。
旧美歎水源地水道施設もその一つとして、長きにわたり山陰地方の近代化をけん引してきました。
明治初頭、水道施設のほとんどが外国人技師によって設計される中、鳥取市は日本人技師として初めて上下水道を設計した三田善太郎を顧問として迎え、1915年(大正4年)に全国でも早い段階で「純国産型」の水源地を完成させました。
しかしながら、1918年(大正7年)9月に発生した大型台風により、アース式の貯水ダムが決壊し、完成わずか3年で濾過施設を含め、下流部の集落を流失する悲劇が起こります。鳥取市はこの災害を教訓に、貯水ダムを堅固なダムとするため、日本初のコンクリートダムの建設に従事した佐野藤次郎に設計を依頼し、災害から4年後の1922年(大正11年)に給水を再開しました。
1978年(昭和35年)に休止するまでの間、市民の飲料用として用いられたほか、陸軍第四十連隊駐屯地への供給や蒸気機関車に給水するなど、本市の近代化に貢献しました。このことから1985年(昭和60年)に全国「近代水道百選」にも選定されています。
近代化遺産特有の鉄やコンクリートを使用した構造物を、文化財として本格的に修理し、施設の活用整備まで実施した事例は全国的にも少なく、旧美歎水源地の保存整備は、その先進事例として位置付けられています。
このことから、近代化遺産の所有者、活用団体などで構成される全国ネットワーク組織「近代化遺産活用連絡協議会」の全国大会が、本市で初めて開催される運びとなりました。今回は近代化遺産の中でも旧美歎水源地水道施設のように近代期に造られた「近代水道施設」にスポットを当て、現役稼働中の水道施設を含めた全国の施設を紹介するとともに、その見どころや面白さ、旧美歎水源地水道施設で実施した保存整備の特徴などを、2日間にわたるフォーラムでお伝えします。
本フォーラムはどなたでも参加する事ができますので、ぜひこの機会にご来場いただき、近代化遺産の素晴らしさに触れてみてはいかがでしょうか。