復興をとげた施設
今年は、旧美歎水源地水道施設が復興して、ちょうど100周年の節目の年にあたります。大正7年(1918)の記録的豪雨により、当時、鳥取市水道の水源であった美歎水源地の貯水ダムが決壊。この影響で、水道水の供給ができなくなったほか、ふもとの集落を流失する大災害となりました。その後、二度とこのような悲劇を繰り返さまいとした、先人たちの努力と活躍により、大正11年(1922)に施設の復興を果たします。
本市の未来を見据えて
被災から施設復興へ至る記録を振り返ると、先人たちの情熱をうかがい知ることができます。
美歎ダムの設計は、日本初のコンクリートダム建設の実績をもつ佐野藤次郎(1896-1929)工学博士が行いました。佐野博士は、当時の日本が誇る土木工学の第一人者であったことから、いかなる災害にも耐えうる堅固なダムとして復旧させようとしたことがうかがえます。
佐野博士の指導により完成した美歎ダムは、満水時にダム頂部より滝のように水が流れたことから「美歎の大瀑布」と称され、当時はまだ少なかったカメラ愛好家が集う名所となりました。美歎の大瀑布は復興の象徴とされ、後年も絵はがきや記念写真が多く遺されており、昭和の中頃には土手に桜を植える取り組みもなされています。
このことから、美歎水源地の復興は、本市の未来をかけた一大事業であるとともに、将来にわたって親しまれる場所にしようと努力してきた先人たちの想いが込められていたことがわかります。
活躍し続ける旧美歎水源地
復興を成しえた美歎水源地は、飲料水だけでなく、山陰本線を走る蒸気機関車や工場への給水など、本市をはじめ、山陰地方の発展に貢献してきました。昭和18年(1943)の鳥取大地震にも耐え、同27年(1952)の鳥取大火災の消火活動にもその実力を発揮しました。
昭和53年(1978)、半世紀以上にわたって活躍し続けた美歎水源地は、新たな水源地に代を譲ります。役目を終えた貯水ダムは、平成10年(1998)に改修工事を受け砂防ダムに用途を転換し、現在は地域を守る存在となりました。また、施設全域は、平成19年(2007)に国の重要文化財に指定され、10年間におよぶ保存修理を経て、平成30年(2018)に文化財施設として一般公開が始まりました。
これらの背景には、地域住民の保存活動がありました。施設の復興から100年たった今でも、旧美歎水源地水道施設には、先人たちの想いが受け継がれています。
施設復興100周年を祝って
毎年多くの来場者でにぎわう旧美歎水源地フェスティバル。今年は施設復興100周年を記念し、例年より内容を充実して開催します。
子どもから大人まで大人気の乗馬トレッキングは、馬の数を増やして実施します。また、竣工100周年を迎える美歎ダムを舞台に、本市の近代化を体感できるストーリーのプロジェクションマッピングを行います。さらに、3年ぶりに飲食ブースも出店します。
文化の秋を楽しめるイベントが盛りだくさん。みなさんのご来場お待ちしております。
プロジェクションマッピングの舞台となる美歎ダム
ダム湖ほとりから望む風景
大人気の乗馬トレッキングを今年も開催
大イチョウが秋のイベントを彩る