「令和の大修理」仁風閣保存整備事業について更新日:
【ただいま休館中】 令和6年~10年にかけて仁風閣は建物の保存修理工事を行っています。ご理解のほどお願いします。
メインメニュー
■修理の理由と目的
■工事の内容と範囲
■工事のお知らせ New!!
■保存修理の概要
■構造補強の概要
■仁風閣の歴史と概要
どうして仁風閣は修理するの?
明治40年(1907)に竣工した仁風閣は、建築から既に100年以上が経過しています。昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定され、ただちに約3年間におよぶ大規模な保存修理工事を行いました。しかしながら、築年数に伴う経年劣化により、近年、雨漏りや外壁材の腐朽、落下物などが多数確認されてきました。
これまで小規模な修繕を繰り返し行ってきましたが、令和2年(2020)に仁風閣の状態を調査したところ、本格的な保存修理を必要とする状況にあることが明らかとなったことから、将来にわたって仁風閣を伝える(保存する)ため、再度の保存修理工事を行う運びとなりました。また、来場者が今後も安心して見学できるよう、このたびの保存修理に加えて構造補強を行う運びとなりました。事業期間は、令和6年度(2024)より約6年間を想定しており、仁風閣が再び開館するのは令和11年度(2029)を予定しています。ご理解のほどよろしくお願いします。
【事業経過】
・昭和49~昭和51年 大規模保存修理を実施(保存修理に加えて屋根、煙突等の当初復原を行う)
・昭和55~平成20年 雨漏りに伴う屋根及び煙突の部分修繕を繰り返す(完全な止水には至らず)
・平成29年 外装材に加え、天井縁蛇腹など室内装飾材の落下が頻発(公開範囲を制限)
・平成30年~令和元年 保存修理事業立ち上げのため、国(文化庁)と協議開始
結果、現状で建物の保存に深刻な影響を及ぼすことから早急な措置が必要と判断
→ 耐震補強を兼ねた保存修理事業へ
・令和2年 建物調査及び修理計画の策定
・令和3年 国庫補助申請準備、修理検討委員会組織・委員会開催
・令和4~5年 修理設計、耐震診断
・令和6年~ 修理工事着手(令和11年の再開館を予定)
仁風閣のどこを工事するの?
令和2年に行った調査の結果、屋根や外壁から深刻な雨漏りが確認されたため、屋根や外壁を部分的に取外し、根本的な雨漏対策を行うとともに、腐朽した材料の取り替えを行います。外壁については塗料の塗り直しだけでなく木部の繕いを行うほか、室内においては漆喰の補修や汚損した天井・壁紙の張り替えを行います。また、昭和の保存修理時に復原した屋根上のレンガ煙突も、補強鉄骨の耐用年数が経過し、発錆・腐食が確認されたことから補強材の更新を行います。
【お知らせ】仁風閣敷地内の公開エリアについて 2025.02.10
仁風閣の保存修理工事に伴い、2025年2月17日より「鳥取城跡・仁風閣 展示館」から「宝扇庵」への通り抜けができなくなります。
◆「鳥取城跡・仁風閣 展示館」および「宝扇庵」は、工事中も引き続きご利用できます。
◆「宝扇庵」の利用予約は、「鳥取城跡・仁風閣 展示館(TEL:0857-26-3595)」まで。
◆「宝隆院庭園」は、工事中も公開しています。
保存修理って何をするの?
仁風閣に用いられている明治時代の「材料」や「技術」を建物と共に保存しながら未来に伝えていくため、まずは修理を必要とする範囲の材料を一つ一つ丁寧に取り外し、その位置や状態、加工の痕跡をつぶさに調査して記録におさめていきます。また、材料保存の観点から取り替える範囲を最小限にとどめるため、傷んだ部分だけを切欠いて新材に取り替える「継木・矧木(つぎき・はぎき)」にて部材の繕いを行い、当時の技法に倣いながら再び元の位置に戻していきます。
さらに、このたびの保存修理では明治時代の仁風閣の歴史的価値をより一層理解・体感できるよう、修理に伴い取り替えるレンガ煙突や天井壁紙などについては、最新の調査データに基づき、建築当初の仕様に復していく予定です。
仁風閣のどこを補強するの?
仁風閣は修理後も常時建物の内部を公開していくことから、文化庁が定める耐震診断指針に基づき、大規模地震時に「大きな変形が生じても倒壊しないよう」建物の構造を補強する必要があります。令和4~5年(2022~2023)にかけて仁風閣の地盤調査や耐震診断を行ったところ、屋根より突出したレンガ煙突や、石積基礎、玄関車寄せにおいて構造補強が必要であることが認められたため、屋根裏や床下、煙突内部など目に見えない範囲で鉄骨補強を行います。
仁風閣ってどんな建物?
明治40年に建築された仁風閣は、フランス・ルネサンス様式を基調とした我が国屈指の明治洋風建築です。旧鳥取藩主であった池田侯爵の「別邸(別荘)」として鳥取城跡(現 国指定史跡)に設計され、当時の皇太子(のちの大正天皇)山陰行啓の御座所(宿舎)に供するため、当地に建築されました。
仁風閣は、皇太子をお迎えするにあたって敷設された鉄道山陰線「境-鳥取間」の開通の折に竣工し、県下で初めて電球を灯した建物であることから、鳥取市の「近代化」を象徴する建物として位置付けられています。また、仁風閣の設計には、迎賓館赤坂離宮(明治42年竣工:現 国宝)、東京国立博物館表景観(明治41年竣工:現 国重文)、京都国立博物館(明治28年竣工:現 国重文)などを手掛けた「片山 東熊(かたやま とうくま)」が携わっており、「仁風閣」の命名を連合艦隊司令長官として英雄視されていた「東郷 平八郎(とうごう へいはちろう)」が行うなど、地域が誇る由来に包まれています。
▼もっと詳しく見る
ガイダンス施設「鳥取城跡・仁風閣 展示館」(公益財団法人 鳥取市文化財団HP)
皇太子行啓後の仁風閣は、公会堂や博物館などに利用され、地域の歩みと共に歴史を重ねてきました。昭和48年に国の重要文化財に指定されたのち、当初復原を兼ねた大規模な保存修理工事を実施しました。以降は、仁風閣の成り立ちや当地の歴史を伝える展示をはじめ、クラシックコンサートや市民展など、地域に根差した文化財として長きにわたって公開活用されてきました。
国指定重要文化財「仁風閣」の地図
国指定重要文化財「仁風閣」
関連リンク
このページに関するお問い合わせ先
電話番号:0857-30-8421
FAX番号:0857-20-3954